【読み飛ばした人必見】又吉直樹『人間』と、太宰治『人間失格』の関わりを解説!!

【読み飛ばした人必見】又吉直樹『人間』と、太宰治『人間失格』の関わりを解説!! 純文学

どうもオオソネです!

又吉直樹著『人間』の作中、太宰治著『人間失格』の一節について登場人物たちが議論するという場面が出てきます。

『人間失格』読んだことないからいいや

って飛ばした人が多いと思いますが、

わざわざ『人間失格』を読む気にはなれないけど、なんかモヤモヤするという人のためになぜそれが引用されたのかを分かりやすく解説していきます。

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【解説】『人間』と『人間失格』

太宰治『人間失格』に関する記述は大きく3つに分けられます。

『人間失格』を好きだと発言することは勇気のいること( p.271 )

主人公の永山は、影島が『人間失格』を読んでいるのは、


『人間失格』が好きだと言った途端「うわw、意識高い系じゃん」って作品が置かれている評価だけで判断する人たちに対して、皮肉的な意味を込めているからじゃないか


と推測します。

これに対して、影島は「面白いから読んでるだけやねん」と返すんです。

評価とか関係ないでしょって。

ここから読み取れるのは、永山にとって『人間失格』とは、

本当に好きだったとしても周りの目を気にして好きだと言えないような小説で、

これは結構一般人に近い考え方ですが、それに対して影島は「本当のことの方が大事でしょ」って示しているんです。

「お化けの絵」を描くことは肯定的な視点を持つこと( p.271,272 )

『人間失格』に登場する主人公の葉蔵という男は、めちゃくちゃ悲観的な男なんです。


他人に自分の本心を知られてはどうなるか分からない。

怖すぎる。

絶対に隠さなくては。


と考えるほどには悲観的です。

そんな男が唯一本心を打ち明けることのできた同級生というのが、竹一という人物です。

この竹一があるとき、「お化けの絵だよ」と言ってゴッホの自画像を持ってきました。

葉蔵はそれを見て、醜い本心をそのまま絵にしたゴッホのことを仲間だと感じ、自分も「お化けの絵を描くよ」と言うのです。

つまり、葉蔵が自らの本心を他人に知られてもいいと感じて前向きな気持ちになれたということを象徴する場面と言えます。

『人間』の作中で、影島がこのシーンを持ち出して「今度はお前がお化けの絵を描く番やで」と永山に言ったのは、

本当に心から感じるものを描けよ

と永山に伝えたかったからなのでしょう。

影島は自分を見失いかけていたので、「自分のようにはなるな」というメッセージも含まれていたのだと思います。

「アントニム遊び」のくだりが示すもの( p.272,273 )

「アントニム遊び」とは、

『人間失格』の主人公の葉蔵と、その知り合いである堀木が、夜空を見上げながら酒を片手に喋っている時に思いついた、

お題の単語に対して対義語を考えるというシンプルな遊びです。


黒のアントは白

花のアントは女


という感じで、罪のアントを考えていくのですが、法律でも善でもないと、グルグルと答えが出ません。

そんな時、ドストエフスキーの『罪と罰』を思い出し、罪のアントは罰なのではないかと思うのです。

ここで、なぜ罪のアントが罰だと葉蔵が行き場を失ってしまうのか、を考えていくと。

罪と罰が同義語なら、それのアントとなるものを目指すことができるのですが、

罪と罰が対義語だと、結局苦しむことからは逃げられないという意味になるのです。

告白だとしたら、祈りだとしたら、それは救いになるけれども、

罰(罪を背負うこと)が罪のアントになると考えると葉蔵にはもう苦しみしか残らない。

『人間』で影島のセリフにもあるように、罰が罪を背負うことだとしたら、それはキリストのことだとも言えて、

「葉ちゃんは神様のようないい子でした」という『人間失格』のラストの一文は、

葉蔵は結局、自分の内面では罪を感じ、外の人間から見たら罰を受ける存在として描かれていたということを示しています。


結論として、このことを『人間』で又吉直樹さんが取り上げたのはなぜなのかを考えると。

『人間』の主人公の永山は、人生の中で罪とも言える失敗を犯し、それに引きづられるように毎日を生きていきます。

「僕たちは、人間としての営みが拙い」

という一文にも表れているように、

永山は人間失格と題されるような人生を歩みかけますが、第三章で自分を受け入れて明るい希望を持つことができます。

これが『人間失格』と対照的な部分です。

永山は、罪と罰、その両方から抜け出した、または受け入れることができたということを印象づける効果がこの一場面にはありました。

まとめ

ここまで又吉直樹著『人間』と、太宰治著『人間失格』の関わりを考察してきましたが、いかがだったでしょうか?

結論として、「なぜ又吉直樹さんが『人間失格』に関しての考察を取り入れたのか」の理由は、

『人間』の主人公永山と、『人間失格』の主人公葉蔵の対比を描きたかったということなのだと思います。

同じところと、違うところと。

『人間』を読んだ方は、ぜひ『人間失格』も読んだ方が絶対に理解が深まります!

これは間違いない。

又吉さん自身も『人間失格』に影響を受けたとおっしゃっていますしね。

それでは、良き読書ライフを!!

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